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夏合宿第1弾として、市ケ谷鉄研と合同で九州・山陽方面へ合宿を行ったので書いておきます。
おはようございます。中の人です。
— 法政大学小金井鉄道研究会 (@h_k_tekken) 2016年8月17日
さて、小金井鉄研は今日から夏合宿。福岡・広島を2泊3日で駆け抜けます。
中の人はムーンライト…と行きたいところですが、まずは羽田空港へと向かいます。
1日目 1500km移動
2日目 広電はいいぞ。
3日目 JR線の日
1日目は福岡集合なので、まずは羽田空港へと向かいます。羽田空港から福岡空港へと飛べばよいのですが、ここではさまざまな理由から、宮崎空港へと向かいます。筆者は人生2度目のフライトでしたが、このフライトにおいて特に“離陸時の鉛直方向のG”に弱いことが判明しました。
宮崎空港到着(10分早着)の後、まずはソラリー式(いわゆるパタパタ)の離陸便案内を観察します。
宮崎空港は空港内のいたる場所でソラリー式の案内板が残存しており、離陸便案内などはカバーもなく、間近で案内板を観察することができます。その後、4Fデッキへと上り、旅客機と共に、航空大学校の練習機を観察。説明板には“東日本大震災の際、仙台空港でゴーアラウンドしたため、間一髪で津波の被害を免れた練習機です。”と書いてあり、あぁ…と思いました。
さて、宮崎空港には空港に併設し、JR宮崎空港線の宮崎空港駅があります。宮崎空港線は2016年現在、JR各線の中では営業キロが最も短い路線です。ここで発車標を見てみると、
普通 9:05宮 崎4両1
特急にちりん9:35大 分6両2
となっていました。ここでホームを見てみると、何故か787系が2編成いました…
そうです。 特急(おそらくひゅうが7号)の折返しを普通列車として走らせているのです。普通列車の旅客にしてみれば、乗車券のみで特急型車両に乗車でき、大変に得をした気分ですが、これから特急に乗ろうとする筆者にとってすれば、複雑な気分です。筆者は普通列車を横目に優雅に(?)特急にちりん8号へと乗込みます。この列車は、大分でソニック32号に連絡をする列車なので、博多まで乗換1回で向かうことができます。
宮崎空港からの宮崎空港線、日南線、日豊本線はまさに快適そのものです。涼しい車内から日向灘などの海を眺めることができます。ここで特筆したい車窓は日豊本線で見られる“リニア宮崎実験線”です。山梨リニア実験線より先に建設され、現在は軌道上がメガソーラー発電所として再利用されています。
大分からは特急ソニック32号に乗車します。
小倉駅で進行方向が変わると(某夜行急行と違い、乗客は積極的に座席の向きを変えていた)列車は“電車でGO!”でおなじみの区間を走行し、博多駅に到着します。
博多から新幹線(¥100)に乗ります。来た車両、700系RailStarに乗り、博多南まで往復します。博多―博多南間や新幹線車両基地では今や数の少なくなった500系を見ることができました。(乗ることができたとは言ってない)500系に乗りたかったなぁ…
2日目、筆者は大濠公園(ホテルの最寄駅)から始発電車に乗り、博多から普通列車に乗ります。
途中駅で下車をし、香椎からソニック1号で早々と門司港を目指します。
その結果、門司港到着は7時39分となってしまった。(連れが異様にさっさと門司港に行きたがっていた…)今思えば普通列車でゆるゆるといったほうがよっぽどよかった。さて、門司港に到着し、徒歩にて本州を目指す。関門海峡は珍しく、徒歩で海峡を横断できるため、わざわざ下関側まで往復をする。
その後、時間がちょうどよい感じとなったので、九州鉄道記念館へと向かう。
九州鉄道記念館には、様々な列車が展示してあるため(なんと電気機関車の運転台カットモデルがある。やったね!)大変参考となる。その中でも、581系展示車は特筆すべき車両であろう。
この車両、外から見れば、普通の581系である。しかし、車内に入ると強烈な違和感を覚える。寝台列車用として設計されたにもかかわらずロングシートがあるのだ。
ここまでお読みいただいた方はお分かりだと思うが(このblogを読んでる方はほとんどわかっているんじゃないだろうか)この車両は、普通の581系から、“普通の”715系へと改造(クハネ581-8→クハ715-1)され、ここに展示するにあたり、外側の塗装のみ元の581系の状態へと戻し展示したため、このような状態となっている。まぁ、JR西日本の419系(食パン)もなくなった今、このような面白い車両に乗れる少ない機会であろう。筆者は九州を離脱し、本州へと向かう。
本州へと戻り、筆者が乗った車両は…とても…黄色いです。というわけで、西日本おなじみの“黄色い115系”に乗って新下関と向かう。
新下関からは新幹線に乗車し、広島まで向かう。
広島からは、広電の1日船車券を購入し宮島観光をすることに決定された。広電②系統は面白いことに、広島駅―広電西広島間は軌道線として、道路交通法に則ってゆっくり走行していく。広電西広島―広電宮島口間は鉄道線として比較的高速に走行していく。あれ、ということは広電運転士は甲種電気車運転免許と乙種電気車運転免許を持っている...?といったことを考えながら宮島観光をする。広電宮島口から広島へ帰ってくると、ちょうど貸切列車(ビール列車?)が走行していった。
夕食(懇親会)の後、再び広電へ乗車する。と、ここである塔を見つけた。
ポイント操作のための信号塔である。かつてはここに人が常備し、ポイントを操作していたのか、と思うと感慨深い。こうして2日目が終了し、筆者は“なぜ電車でGO 旅情編に広電を入れなかったのか…”と思うのであった。
3日目は2日目の連れと別れ、JR線に乗車することに特化する。広島から、まずは呉線に乗り、呉駅を目指すことにする。広行の列車が来たので、広まで一度乗車してから呉に戻ることを決意する。227系である。とりあえず、方向幕LEDを撮影しておく。後日写真をもとに方向幕を作成していったところ、160×32のフルカラーLEDであった。関東で言うところの、“小田急30000型EXE”の方向幕LEDと同じ数である。(但しEXEは3色LED…)まあ、115系などは後から乗れるだろう。と思い、まずは乗車する。途中の区間では海岸線沿いを走るため、海も見える。いいじゃないか。と思っていると、広駅に到着する。とてつもなく“都会”である。と思っていると今乗ってきた列車が2編成に分割されている。どうやら、
快速安芸路ライナー[広島]
次発普通[大野浦]
となるようだ。とりあえず快速に乗り、やっと呉駅へと向かう。
呉駅に降り、駅の周りをふらふらと歩いてみる。と、ここで面白いものを見つける。広電バスの車庫である。中を覗いていると、ボンネットバスがいた。なぜだかわからないがそこにいたのだ。車体には広島電鉄の文字とともに、“呉市交通局”の文字が。本当によくわからない。何かに使われて“いた”のか、もしくは現在も使われて“いる”のか謎である。
その後、呉中央桟橋ターミナル5階の展望台に上る。呉の港湾全体を見渡すことができる。やはり港は良い。ここからは江田島や松山まで行くことができる。さすがに松山まで行って帰ってくると、別の旅行計画を立てる必要性があるので、近くにある海上自衛隊呉史料館(てつのくじら館)へ向かう。
呉史料館の展示内容は、主に機雷除去技術・作業と潜水艦関係である。はぁなるほど、こうやって機雷を除去するのか。と機雷除去というものについて見ていく。また、近くには有人潜水艇“しんかい”(2000でも、6500でもない)が展示してあるので、これも見ておく。
まだ時間が余りあるので、大和ミュージアムも見学する。戦艦“大和”を建造した海軍工廠を擁し、また、現在も数多くのタンカーを建造している日本一の軍港、呉の歴史を展示している。もちろん、鉄道は軍事と切り離せるわけもないので、見学する。なんだか副会長みたいだ。但し、私は副会長ほど艦艇に詳しいわけではないので、よくわからない。といった感じで見学していく。なるほど、“大和型”、“長門型”などと言っているのは、“プロトタイプ”なんだなぁ…と。また、蒸気タービンで戦艦を動かすのか…(昭和あたりからはディーゼルエンジンで動かしているものだとばかり思っていた)、船の上にレールが敷いてあるぞ!(飛行機などを移動させるものか?トロッコでも使っていたのか?)などと雑多な感想を抱きながら見学を終える。
広島へと戻る。快速広島行は“また”227系である。悲しむ。なぜ115系に乗れないのかと感じる。広島からは可部線で可部駅へと向かう。115系のカフェオレ色である。可部線を完乗し、再び広島へ戻る。今度は芸備線に乗る。キハ120の府中・三次行である。最後まで乗るとさすがに時間が足りないので、安芸矢口駅で下車。近くのFRESTA(おかず工房)なるスーパーマーケットでおにぎり等を購入。昼食とし、再び駅へ戻る。復路の広島行はキハ40である。北海道で乗車した時以来のキハ40である。まさか芸備線で乗れるとは思ってもみなかった。
ここで筆者は“ついに”広島を離脱し、新幹線で“大都会”岡山へ向かう。岡山市電に乗車し、(広島城は見なかったくせに)岡山城を見に行く。岡山城は宇喜多秀家建立の“黒壁の”城である。筆者は城と言えば、“白壁”をイメージしていたので、この岡山城は筆者にとって新鮮であった。
岡山駅に戻り、筆者が路線図を見ていると、岡山から1周し、また岡山駅に戻る(岡山―山陽本線―倉敷―伯備線―総社―桃太郎線―岡山)ことができることに気づき、実行しようと考えた。
岡山駅からは、快速サンライナー福山行に乗車する。車両は黄色い117系、列車はワンマン運転をしていた。この列車で倉敷へと向かう。倉敷でやくも21号を見た後、水島臨海鉄道の倉敷市駅へと移動し、倉敷市駅を見学する。ちょうど三菱自工前駅行の列車が出発するところであった。
再びJR倉敷駅へと戻り、備中高梁行の列車に乗車する。総社駅で降車し、桃太郎線(吉備線)に乗り換える。総社駅には井原鉄道の駅が同一の建物に入っている。が、列車はいなかった…
吉備線の車両はキハ47の2両編成で、ワンマン運転を行っている。列車に乗り、再び岡山駅に戻る。列車までしばらく時間があるので、岡山駅のまわりをふらふらと歩く。桃太郎の銅像や、桃太郎のオブジェが乗っているポストがあった。
岡山駅からサンライズ瀬戸号に乗車し、東京へと向かう。このためにわざわざ広島から岡山まで新幹線に乗車したのである。前回の四国合宿ではノビノビ座席であったが、今回はB寝台ソロを確保することができた。
福岡や広島の様々な列車や広電に乗ることができて大変有意義な合宿であった。と言いたいところだが、少し物足りなかった。また行きたいなぁ…